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東京地方裁判所 昭和45年(ワ)8414号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

〔判決理由〕ところで問題は、加害車と被害車とが交差点にどちらが先に入つたかという点であるが、加害車の前認定のスリップ痕の始点が横断歩道に差しかかつた直後(図面参照―略)であることに徴すれば、いわゆる空走距離は少くとも8.3メートルあるので(最少反応時間は0.6秒であると推認される。加害車の速度は毎時五〇キロメートルであつたこと前認定のとおり)、既にこの段階において被害車は交差点に入るか、あるいは加害車との衝突の危険性を強く感じさせる状態にあつたものと推認することができる。

訴外石井正利は東側横断歩道の手前二メートルの地点で西側標断歩道四〜五メートルの地点から右折しようとする被害車を認めて急ブレーキを踏んだ旨供述するが、前記発見からブレーキがききはじめる空走距離を考慮すれば、右供述どおりであることは不可能であり措信できない。

次に衝突地点であるが、訴外石井正利はスリップ痕の切れる南西の角付近であると供述する。しかしながら、同訴外人の坐つていた加害車の運転席(右側)からは、衝突した瞬間は死角になり、且つ緊急な措置をとつている際でもあり正確な地点の指示は著しく困難であると推測され、又同人の指示以外該衝突地点を示す何等客観的な資料はない。そうすると交差点に停止して信号待ちをしていた訴外田中邦政および被害車の後方に位置していた訴外田中義朗の示す衝突地点の方がより正確であると考えれらるので、訴外石井正利の衝突地点に関する供述は採用できない。

前記認定事実によれば、被害車の方が先に交差点に入り既に緩速度で右折の態勢に入つた段階では、加害車はいまだ交差点に入つていなかつたのであるから、被害車が「既右折車」と言いうるか否かについては問題がないではないが、少なくとも直進車である加害車もまた被害車に優先する関係にあつたとは言いがたい。

さらに本件交差点は広い交差点とは言えず、またそれに至る道路も歩車道の区別がなく、付近には商店もあり歩行者のあることを予測しうる比較的幅のせまい道路であるから(検証の結果)、ここを時速五〇キロメートルで突切ろうとした訴外石井正利の過失は決して小さいものとは言いがたい。もとより被害者である亡登弌にも対向直進車に対する配慮が不十分であつたことは前記認定のとおりであるが前記訴外石井の過失の程度からみて、単なる直進車と右折車との関係で促えるのは相当でない。以上の次第であるから、本件事故においては、被害車の損害額のほぼ三割を過失相殺により減額するのが相当と認められる。

三 損害

(一) <中略>

(二) 亡登弌の逸失利益 五七〇万円

<証拠>ならびに弁論の全趣旨によると亡登弌は大正三年生れであり、原告ら肩書地において母やす、妻繁子、長女閑子(昭和二三年生れ)、長男洋司(昭和三一年生れ)と生活を共にし、農業を営んでいたこと、

右農業による収入は主として温州みかん畑八反弱、夏みかん三反三畝、田一町一反三畝、梨、生姜などの生産によつて得ていたこと、昭和四二年四月一日から翌四三年三月三一日まで温州みかん八八万七〇〇〇円余、夏みかん四九万二六〇〇円余、梨二〇万五二〇〇円、米四六万一四〇〇円余、生姜二二万円余、梅、筍、柿、蔬菜類五万〇八〇〇円等少くとも二三一万七〇〇〇円の売上による収益があがつていたこと、亡登弌は果樹園特にみかんについては、戦前からの経験者で、剪定、病虫害防除、肥料の設計等の技術にすぐれ、田についてもいわゆる畝取りをとる(一反につき一〇俵の収獲をあげること)程の働き者であつたこと、

亡登弌の死亡後において、妻繁子は元来病弱のため、働き手を失い、登弌の実弟井上寿郎やその子稔等に手伝つてもらつていること、

亡登弌の死亡前においては農薬代、肥料、人件費等約二五万円の必要経費ですんだが、死亡後においては人件費は約三六万円、薬代が約二万五〇〇〇円増加していること、亡登弌は山本地区の区長(区民九五名)をしていたこと、亡登弌の家では、家族の生活費として月一〇万円程度が必要であり、その上年間二〇万円の貯金と生命保険掛金約一〇万円を支払つていたこと、

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる確証はない。

もつとも<証拠>によると、昭和四三年度の亡登弌の農業所得は五〇万九四一〇円となつているが、証人高木哲三の証言によると、この税金の申告は、館山税務署と安房地区農業所得標準作成協議会で決めた標準(反当り畑二万五〇〇〇円、田三万円〜三万五〇〇〇円程によるもの)であり、実際には温州みかんは通常反当り二〜四トン一キログラム当り八〇〜一〇〇円、夏みかん反当り二〜四トン、一キログラム当り、五〇〜一〇〇円で、温州みかんは反当り最低で八万円、夏みかんは最低で五万円、田の場合も一反少くとも八俵程度の収獲があり、一俵当り八四〇〇円で最低でも六万七〇〇〇円余りとなり、少くとも田の場合は約二分の一、畑の場合は三分の一以下の申告で足りることが認められる。申告額程度の実収入では子供二人を学校にやり、老母と腺病質の妻をかかえ、かつ区長のような世話役的立場に立つていられることが出来ないことは明らかであるので、第一号証の数値を基準として亡登弌の逸失利益を算出することは本件の場合相当でない。前記認定事実によると、記帳されもしくは証明書が発行された部分のみでも二三一万七〇〇〇円余の売上利益が計上され、かつ、記帳洩の部分も少なからずあることが原告本人尋問の結果ならびに弁論の全趣旨から推認されるので、年度により多少の収益の増減は考えられるが、今後少くとも右金額の収益は確実に上げ得たものと認められる。このうち、肥料箱代等の必要経費、公租公課として控除すべきものは、一五%程度と認められるから、純益は右売上利益から一五%を控除したものとなる。

ところで、農業収入は必ずしもその全部が就労者本人の労働能力として評価さるべきでなく、農地という一つの固定資本から生み出される利益、家族の労働の寄与分もその収益の一部となつている。もつとも果樹園からの収益は剪定、肥料の設計等相当の技術と経験がなければ、甘味が落ち、小つぶのものが出来るなど商品価値が著しく下がり、あるいは枯死するなどの事故が起り、従つて単に畑に植えて収獲をするだけでは足りず、これには相当の手間がかかること、原告繁子は病弱でありその寄与分は極めて少いことを考慮するとこれらの寄与率は二〇%程度と認められる。

よつて亡登弌の労働能力の評価は次の計算のとおり一五〇万六〇五〇円となる。

231万7000円×(1−0.15−0.2)

=150万6050円

右収益はまた原告繁子本人尋問の結果から認められる前記認定の生計費、貯蓄の額とほぼ一致し(但し、自家消費分は含まれていない)、又賃金センサス(昭和四六年度版)の亡登弌の年令の平均給与(賞与を含む)(昭和四五年度旧中卒一四三万八〇〇〇円)とも近似するので、これをもつて亡登弌の逸失利益算定の基礎とするのが相当である。次に亡登弌がその社会的地位を維持し、顧客に対する信用を与え、かつ自らの生存を維持するための生活は、扶養家族が四名いることおよび食費分の大半は自家製でまかなえていたと推認されるので、前記金額の三〇%が相当である。

亡登弌は技術者であり、かつ自己所有の農地で収入を得ていたのであるから、満五五才の事故当時からなお一〇年間は就労しえたと認められる。

そこで事故当時における亡登弌の逸失利益の現価をライプニッツ式計算により年五分の中間利息を控除して算出すると次の計算のとおり八一四万〇四八六円となる。

150万6050×(1−0.3)×7.7217

≒814万0486円

よつて亡登弌の前記過失を斟酌すると五七〇万円を被告らに請求しうるものと認められる。

(坂井芳雄 新城雅夫 佐々木一彦)

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